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2016年10月10日月曜日

なおみん、幼稚園に復帰

2016年の1月にホームスクールをすることに決めて、10ヶ月。結果として、幼稚園に戻ってもらうことになりました。まあ、理由は色々なんだけど、やっぱりなおみんは2歳から幼稚園に通ってたし、一緒に遊ぶ仲間に餓えてるのがすごい分かったから。後、私の準備不足。二人の知り合いの方に紹介してもらった韓国の幼稚園に2月まで行ってもらうことにしました。

3月から始めたホームスクーリング。なおみんの色んなところを見ることができました。Oak Meadowというシュタイナー教育を原型にカリキュラムを組んだホームスクーリングキッドをオーダーし、それを元に毎日を過ごすつもりがなかなか進まず。朝7時半頃に起きて、9時少し前に家を出て、リオナを幼稚園に送って、その後公園や山で遊び、10時から11時に家へ着く。公園で遊具を今まで以上に使いこなすことができるようになって、スクーターも上手に乗りこなすようになった。図書館へも週に一回出かけて、それはもう、家に着いたら私の体力が残ってない・・・。「ちょーっと休憩させてね」と言ってる間に昼ごはん。それを片付けて、またすこーしすると、2時になり、リオナを迎えに行く、それが終わるとなおみんの習い事へ向かう、という日々でした。それでも、すこーしずつはカリキュラムをやってはいたのですが、環境が想定と違うので省略をする内容も多々あり、という少し残念な内容になってきました。後、なおみんが興味を示さなかったり、私の準備不足だったり、というのもなかなか進まない理由ではありましたが。


そして、あれやこれやで6月末になり、最初の予定通り、それから1ヶ月間、なおみんとリオナをアメリカのミスカトリーナの元へサマースクールへ行かせました。それはそれは、なおみんの楽しそうなこと。リオナの楽しそうなこと。久しぶりに広〜い庭で、空気の汚染濃度の確認の必要もなくターップリ遊んだ日々でした。バケーションレンタルのオーナーから偶然ホームスクーリングについて色々教えてもらい、ミスカトリーナにもなおみんがちゃんとキンダーレベルのリーディングが出来ているという評価ももらい、とても前向きに帰ってきたのですが、


そのあとの1ヶ月半の日本で、You Tuberになって帰ってきてしまったのでありました。日本では韓国ではいけない水族館や動物園など体験を中心に学んでもらおうと思っていたものの、あまりの暑さにそんなしょっちゅう行けなかった。海にも暑すぎて行けなかった。そしてYouTuberが完成してしまい、それが韓国に戻ってきても板についてしまい、とうとう「テレビ見ていい??」を一日中いうなおみんにうんざりしてしまったわけです。

そして、韓国に戻ってすぐ健が韓国語キャンプに10週間行くために平日は全くいないことが決定したのも韓国の幼稚園に入れようと思った理由でした。でも、そんなつもりがなかったため、最近行き始めたアート教室もとっても楽しいらしく、毎日習い事がある中の幼稚園生活をスタートさせることになりました。

韓国の幼稚園は9時出発からの3時過ぎ帰宅。朝7時に起きて、こどもちゃれんじをして幼稚園に行けるかな?韓国の幼稚園と日本語の両立が出来て楽しんでたら、ちょっとインターへ行かせることも考えようと思ってます。

明日から6年前になおみんが生まれて以来、初めての子なしの日々が来る。とっても楽しみにしていた反面、今日はなおみんがすごーく愛おしく、淋しい気持ちになってしまった。幼稚園行きたい?と聞くと「ママ、行って欲しいんでしょ」というなおみん。明日はどんな顔で帰って来るのかな?

とりあえず、明日から2月までの5ヶ月間はよっっぽど何かがない限り通ってもらいたい。私はセラピストのcontinuing educationの単位を取ったり、韓国語を勉強したり、ホームスクーリングの環境をもう少し整えたり、やることいっぱい。2月になったら改めてなおみんの次を考えようと思う。

2015年11月24日火曜日

これからの教育のこと


韓国に来てしばらくは、インターナショナルスクールになおみんを通わせるとずっと考えてました。でも、暫く時間が経って色々考えると、それが答えではなさそうな気がしてきました。理由は、遠い、高い、その他諸々。

まず、朝7時に家を出て、夕方4時に帰ってくるスケジュール。6歳になるなおみんに9時間も家を空けられるのは、母として寂しすぎる。そして、朝も夜もなおみんを急かして終わるのが目に見えてる。

日本語の勉強は諦めたほうがいい。そして、宿題なんぞ出ると更にドン・・・。なおみんは韓国に住んでる日本人であり、アメリカ人でもある。英語と日本語の両方で最低限の読み書きができるようになって欲しいが、9時間のインターの後のそれは不可能。

スケジュール的には年の半分は休み。オンの日にそれだけ過酷なスケジュールだと、オフの日のダラダラ感は体験しないでも想像が簡単につく。

そして、高い。ここに来て感覚が狂ってきたけど、年間約120万円。1、2年で終わるどころか、中学、高校と進むにつれて、高くなる。そして、間もなくリオナもスタートする。月々のお金でやっていけない金額ではない。でも、学年が上がるたびに苦しくなっていくのは目に見えている。私としては、本当にやりたいことが出来た時に、どーんとお金を用意してあげたい。子供たちが成長して、やっとこれだと思うやりたいことを見つけた時に、すでにお金を使いきってて「ごめんなー、無理」って言う方が理不尽な教育費の使い方だと思う。


そして、やはり、アメリカでも思ってたように、集団で画一的な教育を受けることに疑問を感じる。日本で大学生を体験させてもらったときに出会ったホームスクーリング。ホームスクールを行ってる家族をインタビューさせてもらったのだけど、結構、しっかりした中学生だった。なおみんは、アートと動物が好き。その切り口から、色々な教育ができるんじゃないかと思う。

私は子供たちに好きなことを見つけて、それに一生懸命取り組んで欲しい。成長と共に好きなことは変わっていく。なおみんはウルトラマンでりおなはアンパンマン。今はそれだけど、いつかは変わる。それでいい。大人が子供の好きなものを強引にすり替えることは、精神的な害にしかならない。好きなことを学びたいという気持ちを持ち続けて欲しい。テストのために無理やり勉強するのは、もう少し精神的に大人になってからでいい。今、学校のカリキュラムを押し付けると学ぶ意欲が消える気がする。


そして、いっぱいフィールドトリップをしたい。アンパンマンミュージアムでもいいし、ウルトラマンショーでもいい。そこに行って色々体験して、感じて。アメリカに行ったり、日本で動物園や水族館に何度も足を運んで、実際に見て、触って、体験してほしい。できれば閑散期に。誰もいない平日に。そういった体験というのは、学校では出来ないと思う。学費に当てようと思ってたお金はこういったものに費やしたほうが、ためになるんじゃないかって思う。正直、インターの学費とフィールドトリップは経済的に無理。でもホームスクールをすることで、健が夢見てたようなNasaとかのキャンプも視野にいれれるかもしれない。リアナのところで農場体験の方がなおみんには合ってるかもしれないけど。


ホームスクーリングについて調べ始めて数日。情報がありすぎて困っている。いろんなカリキュラムが1年に10万円ほどで用意されている。ネット情報の時代に感謝するわ。


ここでホームスクールすることの心配事:
まず、ここにネットワークがない。韓国語も不自由だし、ホームスクーラーとして孤立するのが不安。なおみんも私もどこからホームスクールと向き合う刺激をもらえばいいのか分からない。ただでさえ、学校に行ってないと後ろ指を差される気がするから、それをそんなことない!と言い切れる仲間が近くに欲しい。オンライン上のサポートだけで大丈夫なのかもしれないが。

次にホームスクールがうまくいかなくなった時の受け皿。恐らくインターナショナルスクールに入れてもらえるとは思うが、私学なだけに、絶対という保証がない。



リオナ2歳


韓国に戻ってきてすぐ、リオナが二歳になりました。
あまりにも帰ってきてすぐだし、とりあえず、外食へ行くことは決定。
午前中は久々に健に会えて大喜びで家で遊んでる二人を置いて、念願のイーマートという大き目のマートへ。品揃えも近所のスーパーより良くって、感動して帰ってきました。
リオナにいいんじゃない??と思った三輪車も見ただけでしたが、家へ着くなり更にその三輪車を買ってあげたくなり、昼食後に次はカートを持って再出発した母。


片道1キロ以上の道のりを頑張りましたよ、母は。
結構するのね、三輪車って。アメリカから持ってこれば良かった。
うーん、今は足が届かないね。だから、とりあえずは私が後ろから押すか。
ううう、小回り利かないな・・・。
りおなんはとーってもお気に入りらしく、朝、お姉ちゃんを幼稚園へ送る時、
ストローラーではなく、三輪車を指して「これ、これ」というようになってしまったのでした。

夜は、久しぶりの韓国での外食。間違ったお店にばっかり入って懲りてた私たちでしたが、友達に教えて貰ったしゃぶしゃぶのお店に行くと、割と良かった!リオナはもちろん無銭飲食をたっぷりして帰ってきました。

あともう一つの難関はケーキ。まずいで有名な韓国のケーキですが、健がカフェで見かけたおいしそうなケーキを買ってみることに。でも、キャンドルがない・・・。お誕生日のろうそくを求めて、ひたすら何件もお店を渡り、時間切れ。キャンドルなしのお誕生ケーキでした。ごめんね、りおな。まさかこんなに苦労するとは思ってもなかった・・・。

で、翌日普通にいつもいくパン屋さんでキャンドルを売ってるのを見かけてしまったとさ。

韓国に戻る

日本での幼稚園が夏休みに入り、リオナが二歳になる前に韓国に戻ることに。
英語幼稚園に入れようか、英語の授業を沢山やっている韓国語幼稚園に入れようか散々迷ったけど、韓国で仲良くしてもらっている日本人ママが勧めてくれた韓国語幼稚園に決定。


英語が喋れる先生が一人と、アメリカテキサスからやってきたネイティブスピーカー先生が一人。その二人の先生にどうにかこうにかして手伝ってもらい入園。体験入園のときは日本語で通したらしいが、初日が終わって迎えに行くと、アメリカ人先生に「なんだ、アメリカ人じゃん」と突っ込まれるほど、英語で喋ってたらしい。


なおみんは、幼稚園がとっても気に入ったようで、毎日楽しそうに行く日々。入って一ヶ月後のお泊まり保育にも、「行く」と自ら言いだして、笑顔で行っちゃったよ。そして問題なく帰って来たよ。


私の知ってるなおみんとはえらい変わりよう・・・。一体何が行われてるのかしら??言葉の面では日本の幼稚園の方が良かったんちゃうん??と思うのですが、、、

でも後でウェブにアップされてる写真をみて分かりました。それはそれは行事まみれの日々。馬の格好をして体育とか、歌って踊って英語とか、砂遊びとか、まあなおみんのツボにはまる授業ばっかり。クラスメートもたった7人。仲間外れも出来ないし、先生も沢山いて目も行き届いてる。そりゃあ、ちやほやされて、楽しいだろうね・・・。






2015年9月24日木曜日

なおみん日本で初幼稚園

日本語だからだろうか、割となおみんは幼稚園に行くことに前向きになって初登園日を迎えた。幼稚園の体操服とカバンを借りて、元気良く「ばいばい」と言って別れた。

はあー、やっと一人リリース。と言ってももう一人家に居るし、3時までってことは、2時40分には家を出てないとダメだし、朝、お弁当作って送っていって、迎えに行くってなると、意外にゆっくりする時間は無かった。更に、歩き慣れてない私たち。一応グーグルでは片道1キロ弱っぽかったが、最初は慣れるのに、後半は暑さとの戦いで、この二度の往復で結構疲れてしまって、なおみんが通った約一ヶ月ちょっとの間、ほぼ、学校との往復以外何もせずに終わってしまった。


学校に行き始めて2、3日経ってから、幼稚園に行くのをぐずり始めたなおみん。朝、とんでもなく行くことに抵抗し、お迎えの時には笑顔というのを結局一ヶ月続けた。
ママ友も出来たし、週に一回は遊んでもらって、いろいろ日本の子育て事情とか聞けて楽しかった。なおみんもそうやって小規模で遊ぶのは大好きだったけど、幼稚園はやっぱり嫌がってた。今思えば、生徒が多くて、集団行動がストレスだったのかな?歌がわからないとか、ピアニカができないとか、色々理由を付けては、愚図ってた。
その割には完璧な関西弁を身につけて帰ってきてたけどね。


そして、やーっと慣れ始めて、お迎えのときには手を振る友達まで出来てきたところで、さようなら、、、終業式となったのでした。その後も、預かり保育で3回ほど幼稚園に行き、なおみんの日本の初幼稚園は終了しました。


偶然、幼稚園で出会った大学時代の先輩いわく、そこの幼稚園は「昭和」的な幼稚園で、先生の話を聞くときは手を後ろに組むなど、軍隊的な要素があったそうな。その割にはなおみんからはそんな話は聞いてないけど、まあ、もし本当なら、そりゃあ苦労しただろうな(笑)。でも、私は受け入れてもらってとても感謝しています。ここで出会った子の半分くらいは同じ小学校に進むだろうし、また来年も通わせたいな。


なおみんとの幼稚園の往復は大変だったけど、楽しかった。
韓国に着いてすぐは、"I want a car" と愚図ってたけど、大分歩けるようになったね。



2015年9月22日火曜日

日本での生活スタート

アメリカからの苦労を考えると、仁川→関空は近かった。大人一人で連れて帰ることにすごいドキドキしてたけど、空港で母が待っててくれたのもあり、すんなりたどり着いた気がする。でも、どれだけ飛行機で一時間半と言われても、家を出てから実家までは一日仕事だった。


神戸はまたもや雨。韓国で出会った日本人ママが皆、一応2週間はMERSの潜伏期間だから家にいると言っていたので、私たちも一応そうすることに。韓国ですでに缶詰状態を一週間やってたから、あと二週間も。と思うだけでクラクラ・・・。庭で遊んだり、粘土で遊んだり、もちろんYouTube をして10日が経ちました。毎日韓国のMERS情報を見てると、隔離対象者は増えているものの、すべて病院に訪れた人とその家族の感染が明確になってきた。ってことは、



自己隔離、あほくさっ


ということになり、その翌日、幼稚園を訪れることにしました。まあ、もう自己隔離をし始めて、ゆうに2週間以上が経っており、空港でもらってない限り感染はあり得ず、空港内感染の情報も無かったので、確信を持っての自己解除でしたが。幼稚園には挨拶にいっただけで、結局、翌週の月曜日からスタートすることになり、その時点では、帰国後2週間がやっと経ってました。






まさかのまた日本


5月15日に韓国に着いてから3週間で、数々のママ仲間に出会い、色々助けてもらったり、色んなイベントに誘ってもらったり、一瞬でなんとかここでやっていけそうな気持ちになった直後、韓国にMERSがやってきました。


幼稚園選びに苦しみ、やっと決意を決め韓国の幼稚園に入れようと思った翌日、幼稚園は閉鎖され、日本人コミュニティーを通じて、かなり緊迫した状況になってきていることを知りました。まず、健が受診しようとしてた大学病院で死者が出たという騒ぎになり、病院や診療所が個々に⚪️⚪️病院で受診した経歴のある人たちは受診お断りという案内を始めることに。政府が混乱を避ける為に、死者が出た病院を発表しないとしたらしいが、裏目に出たよね。いかなる状態でも情報は公にする方が秩序は保たれるんだなと切に感じました。


まあ、幼稚園が休園で、病院にも行けないとなると、母子また引きこもりの日々に。元々、日本人母子はインターナショナルスクールがお休みになると同時に帰国する予定の人が多々いた為、2ヶ月ほど誰も居なくなるのは覚悟してたけど、この状態での覚悟はしてなかった。ので、次は外国人登録証の発給を待ってすぐまた帰国することを決定したのでした。


MERS騒ぎが始まってから一週間、ずっと家に居て、必要に応じて一人で私が買い物に行くという生活に変わってしまった。なおみんは、幼稚園に行かないでいいなら、それが一番とばかりにまたもやYouTube。でも、私は日本で幼稚園に行って欲しいと思い、体験入学を受け入れてくれないか、電話をかけまくりました。最初の4、5件は断られ、ついに受け入れてくれる先をゲットしました。


ママ友に仁川空港への行き方を学び、バス停までの道順を子供たちを連れて歩いてみたりして、ドキドキしながらの母子帰国でした。


結局当日の朝、健がホテルの前のバス停まで送ってくれることになり、皆で家を出てバスへ。バスに健が乗らないと知ったなおみんは、大泣き。両親が待ってくれてるとは知ってても、健なしでの生活は私にも心配だったから、またさらにここでも罪悪感が芽生えてきました。あー、なんてついてないんやろう、、、


なおみんの気持ち


韓国へ来て1週間が過ぎ、もうなおみんが幼稚園に行かず、家にいるようになり一ヶ月以上が経って、一日中You Tube をすることが日常となってました。一日中ゴロゴロしてて、イライラしているなおみん、そろそろ家にいるのは限界でした。


なおみんはインターナショナルスクールに通うものという前提でここにきたのですが、ここに着いてから学費のサポートがキンダーからしかでないということを知りました。9月18日生まれのなおみん、どうにか、今年キンダーに入れてくれないかと打診したけど、無理と言われ、インターナショナルスクールは断念。

だけど、健が会社で知り合った日本人の同僚を通じて、ママ友達ができてきました。
韓国の幼稚園も紹介してもらい、体験授業を受けたものの、なおみんは浮かない顔。英語幼稚園の方がいいのかな?と英語のみの幼稚園にも体験させてみたものの、やっぱりダメ。'I don't like them' 「みんな、うるさすぎる」というなおみん。夜にも「みんなうるさい」とうなされたり。ある昼間、せっせと幼稚園探しを電話でしている私をみて、なおみんがボソッとちょっと弱気な声で

"Did you call Ms. Katrina that I'm coming tomorrow??"


この一言は胸に突き刺さりました。今思い出しても涙がでそうになる一言でした。
そうやんな〜。今まで行ってた幼稚園に帰りたいよね。急なことだったもんね。意味も分からず、親について来らざるを得なかったもん。しかも、飛行機に乗って、言葉の分からない国へ。っていうかどこにいるかもわかってないよね??なおみん、ゴメンね。

この時は、本当に悪いことをしてしまったという罪悪感がいっぱいありました。
まさかこのあと、なおみんがぐーんと成長することを知らずに。



日本で


空港でお別れを言って、日本へ。飛行機のことはあまり覚えてません。
日本へ着いたら、次は韓国へ行く準備。まあ、ビザを取るというのが一番のイベントで、一ヶ月ほどで出るという目論見の元、神戸で二週間を過ごし、東京へ立つことに。

神戸での二週間は、4月だというのにほぼ雨。リオナは時差ぼけが解消されるまで時間がかかったし、雨だったし、大変だった。でも、グランパに動物王国に連れて行ってもらい、なおみんは大喜び。王子動物園と水族館と竹中工務店資料館にも行ったか。従兄弟たちと過ごすのが大好きななおみんは、空いてる日はマックスで遊んでもらいました。おきともあちゃんと淡路島のおっきい公園にも行きました。私は、いつもの美容院で髪を切って、USJ時代の友達に一度会い、たまおに会い、健は韓国語の勉強してたな。


そして、4月の中旬に東京へ。東京では割と晴れに恵まれ、半日かけて色んなところに連れて行ってもらいました。プレイカフェや、ポニーライドや図書館や公園で過ごすしたけど、なおみんにはそろそろ非日常にも飽きてきた感じがみられ、出かけてないとYouTube を見ているという日々。グランパのお見舞いにちょっとずつ何度も行けたのは良かったけど、そのうち新鮮味がなくなり、そして、4月の末になってもビザ発給の連絡は来ず、またここでもソワソワした日々が始まりました。


そして、ついに5月の連休までいることに、、、お陰でアメリカで一緒だったこよファミリーと愛子さん・すみちゃんペアと会うことができました。皆で上野動物園に行ったけど、若干照れてたのと、混んでたのと、時間が足らなかったのとで、会えて嬉しかったけど、もっと一緒に居たかった〜という気分で解散となった1日でした。


もう、この悶々どうしたらいいの〜。なおみんも友達なし限界〜っという、連休明けにやっとビザが出たという知らせがあり、5月15日にやっと飛び立つことになりました。



アメリカを発つことに


ネブラスカから戻り健の骨折がまだ治りきらない頃から、健が職探しを始め、最終的には韓国へ渡ることに。同時期に、私たちのアメリカ生活でいつも支えとなっていたこよファミリーも同時期に急に日本へ戻ることになりました。


この1月からアメリカを去る3月まではドキドキ、ソワソワの日々でした。なおみんにどう説明していいか分からず、ひたすら、いつも通りに幼稚園に連れて行って、こよの家に行って。綾さんファミリーには本当に支えになってもらいました。アメリカを去ることが確定したのは3月に入ってから。健は仕事のこと、私は家財の処分に励んでました。


荷物もどこに送るか確定したのは帰国一週間前。もうガレージセールをして、荷物を最低限にしておいたものの、まだどこに荷物を送るか分からない現実に焦った私が日通さんにとりあえず箱を取りに行きました。荷造りをして出荷する2日前に韓国に荷物が送れることになり、その2日後に荷物を空にして、アメリカを発ったのであります。

って、さらりと書いたけど、10年分の荷物の処分は半端じゃなかった。車2台からベッド、電化製品、家庭菜園のもの、子供達のもの。でも、同じ作業を行っている綾さんと愚痴りながら、後、手伝ってくれた友達によりなんとか乗り越えられたって感じでした。Corvallis時代の友達も会いに来てくれ、ドタバタながらも最後のお別れをいうことができてよかったな。

そして、3月30日ギリギリ日本行きの飛行機に乗ったのでありました。