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2012年1月24日火曜日

とんでもない一週間

この一週間はひどかった・・・ひどすぎて最初のほうの酷かった内容まで覚えてないほど。


ええ、健が書いてたねずみ事件もありました。
私(主婦・家にいるもの)の視点からすると、捕まえるまでの道のりはもっと
険しかった。
あの日(水曜日)は、朝ご飯をあげて洗濯をしようとしてるうちに、「ガシャーン」とティーカップを落として割られて始まる(涙)

コップの破片を集めて、メールをチェックすると健から「ねずみの糞発見」メールが届いている。つまり、家中をまた消毒しないといけない。なおみんを昼寝させて、ネットでネズミが出たあとの処理の仕方を調べてみる。そん時に知ったこと。いかにネズミがばい菌もちの可能性が高く、手袋はめて、マスクをして処理をせよ。しかも、生後3週間ほどで生殖機能が整い、増え続けることを知る。おぞましい・・・。

 こん時ほど、「あ、仕事に行かなきゃ。ごめ~ん。」と言いたかった時はない。家に居るのは右をみても左をみても私のみ(あ、なおみんも)。とりあえず、せっせとリビングの荷物を移動させ、消毒に取り掛かったのでした。愚痴る相手も、一緒に笑い飛ばす相手もおらず、せっせと一人で片付ける・・・。ど~せ私は女中や。と愚痴ってた母を思い出しながら・・・。分かりまっせ、その気持ち。ものすごく。

晩御飯の準備のかけらもできないまま、なおみん起床。ありがとよ~。しかも、なおみんが床に投げる前にキャッチした昼ごはんのプレートを私が下に落としてしまった・・・。また掃除ですか・・・。この頃にはキーっとなりそうだったので、自分へのご褒美だ。と友達のともちゃんを誘って子供たちを遊ばせてからコーヒー屋さんへ。同情したともちゃんはコーヒーとデザートをおごってくれました。あ~友って大切。なおちゃんも、りあちゃんとコーヒー屋さんで走り回って大喜び。ストレス解消をした後、ともちゃんの家でともちゃんの旦那にネズミの駆除の重要性を説かれ、とうとう罠を仕掛けるに至ったのでした。

罠を買って翌朝にはネズミが捕まってたのは健の日記の通り。私がいっぱいいっぱいだった前日の夕食は健が作ってくれたし、私が絶対見たくないネズミの死体も私となおちゃんが起きる前には処理をしておいてくれた。チームワーク万歳!今まで私はどうやって一人で生きてたのだろう・・・。

ネズミは私の中では一番あり得ない害虫(虫じゃないか)。何でかと言うと、動物で大きいから。手や新聞紙で仕留める蚊・ハエ・ゴキブリよりえぐい。なぜかネズミが通った後をなおちゃんがハイハイしてると思うとぞーっとする。何度も消毒液を振ったけど、なんせ、見えないものなので、信頼できない。そういうときに限って、糞を発見したソファーに笑顔で顔を擦り付けてトランポリンして遊んでくれる。触るなオーラを感じるのだろうか??感じたら、触らなきゃ根性に火がつくんやろな~。ああ、やっかい。


木曜日はまたネズミがうろうろしてたことから、更に洗濯・消毒。。。あ~気持ち悪い。


金曜日は昼からはポートランドになおちゃんのパスポートを取りに行く日。朝起きたらなおみんのオムツが私の布団の上で漏れてることに気づいて起床。シーツをはがして、なおちゃん、朝ごはん。あまり食べない・・・。うーん、なんでやろ??とりあえずスムージーは全部飲んだ。シーツを洗濯してる間になおちゃん登場。抱っこ??はいはい。抱っこすると、おえ~っと出てくる出てくる。スムージープラス唾液だろうな。大量のゲロが私の肩に、とっさに移動した洗面所に、なおみんのお出かけ用の服に。心配になりながらも、洗濯第二段。とほほ。

その後、意外にもケロっとしてたので図書館に連れて行って、昼寝をさせて、うどんを食べて、普通っぽかったからポートランドへ向かうことに。そしたら、道中にまたゲロー・・・。至急引き返し、またもや洗濯。熱はなかったし家でなおみんの様子を見ることに。
ちなみにこの日Corvallis村は全国ニュースになるほど洪水で水没してました。 これで、我が家まで水没してたらどうなってたやら・・・

土曜日。家でゆっくりすることに。なおみんも安定してきたし、晴れたので健と二人を公園に送り出して、私は最後の消毒をしてその日終了。

で、その翌日の日曜日。なおみんも良好で家で平和に過ごしてた夕方、健の体調が悪くなった。引き続き、私も気分が悪くなった。晩御飯の頃には元気なのはなおちゃんだけ。大人は食べる気力も無い中、とりあえずなおちゃんにはご飯をあげて、歯だけ磨く。私と健は吐き気が続き、くたばってしまった。なおみんが泣くから、ともちゃんになおみんを見てもらおうと思ったけど、電話がどこにあるか分からないし、話すこともできないくらいになってしまった。結局私と健は20分ずれくらいで吐き気がきたので、なおちゃんの世話はバトンタッチですることができた。

月曜日は少しずつ大人も体力復活。しかし、なんだったんだろう。健と私の体調不良のタイミングがあまりにも良すぎるし、食中毒?ネズミ菌??健はなおみんのゲーを二人で処理したからっていうけど、そんなんでうつるかな??しかも、即回復???

呪われたような一週間でした。いや、まだ終わってないかも???

2012年1月20日金曜日

小さな事件

ケンです。


ご無沙汰してました。
なんせ色々と忙しいもんで、ここにコメント寄せる暇も余裕もありませんでした。
申し訳ない。
けど、これからもまたしばらくは余裕なさそうです。

すんません。




...とま、誰も気にもしてないであろう、いい訳もどきの前置きはさておき、ちょっとしたうちの事件を報告しておきます。

実はこの前3週間ぶりに日本から帰ってきたとき、うちのアパート、何者かに侵入されていました。
別に大した物的被害は受けていません(米袋とジャガイモ一個です)。

でもそれ以上にいたかったのが、衛生面。

そいつは土足で人の家に入り込みやがったというだけでなく、ホームレスでおそらく生まれてから風呂に入った事すらありません。

まさにリアル・バイキンマンです。

バクテリアや病原菌というものに人一倍敏感な(更にうちにはナオミんという幼児までいますしね)マキが取り乱したのは言うまでもありません。


で、しかもこの侵入者、ソファーの近辺や上でかなりくつろいだらしく、そこらにあからさまな『痕跡』を残してくれていました。

...まぁ、食べたら自然と出る、『あれ』ですね。

当然リビング全体をひっくり返しての大掃除&消毒になったのは、想像に難くないと思います。

その後アパートの大家さんを呼んで、対策を協議。
ざっと見てみた感じ、どうも何度も荒らされたようではないので、とりあえず『しかけ』をして、経緯を見守る事にしました。


しかし不思議なのはその侵入経路です。

どこを探しても、入って来れそうな場所はありません。
ドアに隙間はありませんし、窓もしっかり閉まっています。
壁に穴はあけられてませんし、床にだってそんな通り抜けられるような隙間は見当たりません。
とりあえず、日本帰国中に水道線が氷結するのを危惧した大家さんに頼まれて開けていた流し台の下の扉と、なぜか少し開いていた米の入っている押し入れの扉を閉めました。


幸か不幸か、その後この侵入者が再び現れる事はありませんでした。




...2日前までは。


そう、こいつ、またどこからともなくリビングに現れ、そしてうちらが寝ている間にソファー近辺でパーティーしてやがったっぽいんです。

再びリビングの大掃除&消毒となりました。


...しかも今回は、マキだけで。


しかし、どこにも出入り口は見当たりません。
そうなると、どうもこの野郎、前回のうちらのチェックで退路を断たれたどーだかそんな感じで、その後それを言い訳に、そのままうちに居候を決め込んでいたとしか思えません。



何はともあれ、私が帰宅したときには、もう自分の家だかどうだか見間違う位の綺麗さになっており、部屋には消毒薬の臭いが充満していました。


が!


そんなマキの努力を踏みにじるかのように、ソファーの横にある電灯の下に、ポツンとまたヤツの『痕跡』が...

まるで、『な〜にやっても無駄だぜぇ、とっつぁ〜ん(山田康雄風)』とでも言いたいかのよう。


これにはマキもキレました(っつーか、既に十二分にリミット超えしてましたが)


友達の家から車で帰って来る途中に近くの雑貨チェーンで『罠』を買い、それをヤツのパーティー会場近くにセット。

今度は『しかけ』なんて悠長なもんではありません。

ヤツが触れて、この罠が動きさえすれば一発で処刑する代物です。



しかも念を入れて二重に


そしてそのままうちらは就寝。



で、翌朝。



うちらにとっては何も変わらぬ朝。
私もいつものようにベッドで電話でニュースをちら見した後、アクビをしながらリビングへ。

そこで私が目撃したものは...




哀れ、変わり果てたヤツの姿でした。

恐らく昨日もまた、何食わぬ顔でソファーの辺りに陣取り、パーティー三昧といこうとしたんでしょう。
ソファーの上でテレビでもみながら食ったろうと思っていたピーナッツに、まさかこんなゴッツい罠がしかけてあろうとは、これっぽっちも思わなかったんでしょうね。

高々1ビン3ドルのピーナッツバター一欠けの為に、はるばる三途の川まで渡る事になるとは。
せめて高めのフォンティーナチーズあたり抱きしめたかったわって、ちょっと目もどことなく、恨めしそう。



何はともあれ、これで不法侵入&居候の問題は解決です(ヤツにルームメートがいなければ)


ですが、こいつの侵入経路が未だに不明なのが、気がかりです。
口コミで、居心地の良さがコミュニティーに広がってなければいいんですがね。





大挙してこられた暁には、今度はうちらがホームレス確定ですから...

2012年1月17日火曜日

15ヶ月突入と終了

12月18日のなおちゃんの15ヶ月突入は日本、帰国からもはや2週間近く経った
今日なおちゃんは15ヶ月。急いでこの日記をアップしてます。

15ヶ月の目玉は日本への里帰り。なおちゃん初の日本。初のおじいちゃん・
おばあちゃんに会う旅でした。Deltaの直行便で10時間ほどの往復でしたが、
健がいなかったらできなかったなあ~。いつも便秘気味のお嬢様ですが、
なぜか離陸と着陸のときは(のみならず、飛行中も)もりもりお通じがあり、
嬉し悲しい悲鳴の10時間でした。

両方の飛行機で、乗ってすぐから服を着替えないといけないほどのお通じがあり、
おしめと服の残り枚数を心配しながらの旅でした。

日本では健の両親が空港に迎えに来てくれ、 車で移動。どこまで理解してるのかは
分からないけど、健の実家に着く頃には、おじいちゃんに抱っこを要求~。
かわいがってくれる相手だと理解してからは、もうおじいちゃんおばあちゃんを
離さないなおちゃんでした。

着いてすぐからおじいちゃん・おばあちゃんに大喜びのなおちゃんだったので、
東京でも神戸でも健と二人で出かけることができました。なおちゃんが生まれて
初めて二人で出かけることができ、感動するかと思いきや、買い物をしてると時間が
さっと過ぎていく・・・。
日本では買いたいものを一年分貯めてるからあかんね、欲がでてしまってゆっくりできない。私が唯一デートをしてることを実感できたのは、神戸の母が予約してくれたレストランで健と二人で2時間半かけて食事をしたときでした。


神戸では3人の従兄弟にも初めて会い、大興奮。4ヶ月年下のそうちゃんとはあまり
遊ばなかったけど、4歳・7歳のゆうちゃん、じんちゃんはだーいすき。ずっとケタケタ笑ってました。じんちゃんとはテレビとソファーの取り合いもしたけどね。いちごの取り合いでもなおちゃんは負けてませんでした。


お正月には淡路へ日帰り旅行に行き、なおちゃんは温泉を初体験。家族風呂の45分制限のぎりぎりまで入ってました。おいしい魚料理も両手でほうばり、
 最後はこんな感じ。



神戸で船に乗ったり、東京で動物園に連れてってもらい、イベント盛りだくさんの帰国でした。

なおちゃんは旅行中、ベビーサインのDVDにハマリ、急にサインをすることが増えました。でも、意思を伝えるためというよりただサインをしてるだけ??ちなみに、確実にしゃべる言葉も'baby'。15ヶ月にしてやっと理解して使ってる最初の言葉が、Babyって・・・
あなた、うちは日本語で会話してるんですけど??

あと、水道の水で遊ぶことも覚えました。なおちゃん居ないな~と思うと、
こんなことしてるし。何もこの真冬にはじめなくても???






アメリカに戻る寸前には、水道の前で30分ほどくらいずーっと水で遊んでなければ気がすまない子になってました。健の実家では、階段を上ったり降りたり、玄関の鍵を鍵穴に入れたり、ずーっと飽きずに同じことを繰り返してました。寒い中、付き合ってくれたおじいちゃんおばあちゃん、ありがとう。なおに記憶がなくても、ちゃんと日記に残ってますから。

時差ぼけも日本・アメリカ両方で3、4日ほど大変でした。日本では明け方、アメリカでは夜中にパワー全快で遊ぶこと2時間ほど。それに付き合うがために、大人も時差ぼけ回復に時間がかかりました。帰ってきてからは、3週間いっぱいおじいちゃんおばあちゃんに相手をしてもらったから、ひたすら相手にしてもらおうと必死。更に、私の実家でソファーに登ることに成功したなおみんは、さっそく家の椅子に登ることにチャレンジ。今では自分でキッチンのシンクまで椅子を運んで水を出せ。と要求するようになりました。

そこで、帰ってきた一週間後にまた事故が・・・。 椅子から落ちて頭をガンッ!!大泣きの最中にゲロをちょびちょびと。病院が閉まる前に一応電話して症状を言うと、危険な場合があるからERに行くようにと言われ、またもやERへ。結局、先生にコブもないし、大丈夫といわれ、Scanもせずに終わりました。ERでは今までありえないほど泣いたなおちゃん。4ヶ月前に縫ったこと覚えてたのかな~??ちなみに今回の先生も前と同じ先生でした。

その日は友達を呼んで晩御飯にしようとしたのに、ドタキャン。家に着いて、たっぷり作ったご馳走を目の前に健と「今日は何の日??」「なおちゃんが椅子から落ちた日」といいながら3人で3日かけて食べましたとさ。ああ、何も無くてよかった。