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2015年9月24日木曜日

なおみん日本で初幼稚園

日本語だからだろうか、割となおみんは幼稚園に行くことに前向きになって初登園日を迎えた。幼稚園の体操服とカバンを借りて、元気良く「ばいばい」と言って別れた。

はあー、やっと一人リリース。と言ってももう一人家に居るし、3時までってことは、2時40分には家を出てないとダメだし、朝、お弁当作って送っていって、迎えに行くってなると、意外にゆっくりする時間は無かった。更に、歩き慣れてない私たち。一応グーグルでは片道1キロ弱っぽかったが、最初は慣れるのに、後半は暑さとの戦いで、この二度の往復で結構疲れてしまって、なおみんが通った約一ヶ月ちょっとの間、ほぼ、学校との往復以外何もせずに終わってしまった。


学校に行き始めて2、3日経ってから、幼稚園に行くのをぐずり始めたなおみん。朝、とんでもなく行くことに抵抗し、お迎えの時には笑顔というのを結局一ヶ月続けた。
ママ友も出来たし、週に一回は遊んでもらって、いろいろ日本の子育て事情とか聞けて楽しかった。なおみんもそうやって小規模で遊ぶのは大好きだったけど、幼稚園はやっぱり嫌がってた。今思えば、生徒が多くて、集団行動がストレスだったのかな?歌がわからないとか、ピアニカができないとか、色々理由を付けては、愚図ってた。
その割には完璧な関西弁を身につけて帰ってきてたけどね。


そして、やーっと慣れ始めて、お迎えのときには手を振る友達まで出来てきたところで、さようなら、、、終業式となったのでした。その後も、預かり保育で3回ほど幼稚園に行き、なおみんの日本の初幼稚園は終了しました。


偶然、幼稚園で出会った大学時代の先輩いわく、そこの幼稚園は「昭和」的な幼稚園で、先生の話を聞くときは手を後ろに組むなど、軍隊的な要素があったそうな。その割にはなおみんからはそんな話は聞いてないけど、まあ、もし本当なら、そりゃあ苦労しただろうな(笑)。でも、私は受け入れてもらってとても感謝しています。ここで出会った子の半分くらいは同じ小学校に進むだろうし、また来年も通わせたいな。


なおみんとの幼稚園の往復は大変だったけど、楽しかった。
韓国に着いてすぐは、"I want a car" と愚図ってたけど、大分歩けるようになったね。



2015年9月22日火曜日

日本での生活スタート

アメリカからの苦労を考えると、仁川→関空は近かった。大人一人で連れて帰ることにすごいドキドキしてたけど、空港で母が待っててくれたのもあり、すんなりたどり着いた気がする。でも、どれだけ飛行機で一時間半と言われても、家を出てから実家までは一日仕事だった。


神戸はまたもや雨。韓国で出会った日本人ママが皆、一応2週間はMERSの潜伏期間だから家にいると言っていたので、私たちも一応そうすることに。韓国ですでに缶詰状態を一週間やってたから、あと二週間も。と思うだけでクラクラ・・・。庭で遊んだり、粘土で遊んだり、もちろんYouTube をして10日が経ちました。毎日韓国のMERS情報を見てると、隔離対象者は増えているものの、すべて病院に訪れた人とその家族の感染が明確になってきた。ってことは、



自己隔離、あほくさっ


ということになり、その翌日、幼稚園を訪れることにしました。まあ、もう自己隔離をし始めて、ゆうに2週間以上が経っており、空港でもらってない限り感染はあり得ず、空港内感染の情報も無かったので、確信を持っての自己解除でしたが。幼稚園には挨拶にいっただけで、結局、翌週の月曜日からスタートすることになり、その時点では、帰国後2週間がやっと経ってました。






まさかのまた日本


5月15日に韓国に着いてから3週間で、数々のママ仲間に出会い、色々助けてもらったり、色んなイベントに誘ってもらったり、一瞬でなんとかここでやっていけそうな気持ちになった直後、韓国にMERSがやってきました。


幼稚園選びに苦しみ、やっと決意を決め韓国の幼稚園に入れようと思った翌日、幼稚園は閉鎖され、日本人コミュニティーを通じて、かなり緊迫した状況になってきていることを知りました。まず、健が受診しようとしてた大学病院で死者が出たという騒ぎになり、病院や診療所が個々に⚪️⚪️病院で受診した経歴のある人たちは受診お断りという案内を始めることに。政府が混乱を避ける為に、死者が出た病院を発表しないとしたらしいが、裏目に出たよね。いかなる状態でも情報は公にする方が秩序は保たれるんだなと切に感じました。


まあ、幼稚園が休園で、病院にも行けないとなると、母子また引きこもりの日々に。元々、日本人母子はインターナショナルスクールがお休みになると同時に帰国する予定の人が多々いた為、2ヶ月ほど誰も居なくなるのは覚悟してたけど、この状態での覚悟はしてなかった。ので、次は外国人登録証の発給を待ってすぐまた帰国することを決定したのでした。


MERS騒ぎが始まってから一週間、ずっと家に居て、必要に応じて一人で私が買い物に行くという生活に変わってしまった。なおみんは、幼稚園に行かないでいいなら、それが一番とばかりにまたもやYouTube。でも、私は日本で幼稚園に行って欲しいと思い、体験入学を受け入れてくれないか、電話をかけまくりました。最初の4、5件は断られ、ついに受け入れてくれる先をゲットしました。


ママ友に仁川空港への行き方を学び、バス停までの道順を子供たちを連れて歩いてみたりして、ドキドキしながらの母子帰国でした。


結局当日の朝、健がホテルの前のバス停まで送ってくれることになり、皆で家を出てバスへ。バスに健が乗らないと知ったなおみんは、大泣き。両親が待ってくれてるとは知ってても、健なしでの生活は私にも心配だったから、またさらにここでも罪悪感が芽生えてきました。あー、なんてついてないんやろう、、、


なおみんの気持ち


韓国へ来て1週間が過ぎ、もうなおみんが幼稚園に行かず、家にいるようになり一ヶ月以上が経って、一日中You Tube をすることが日常となってました。一日中ゴロゴロしてて、イライラしているなおみん、そろそろ家にいるのは限界でした。


なおみんはインターナショナルスクールに通うものという前提でここにきたのですが、ここに着いてから学費のサポートがキンダーからしかでないということを知りました。9月18日生まれのなおみん、どうにか、今年キンダーに入れてくれないかと打診したけど、無理と言われ、インターナショナルスクールは断念。

だけど、健が会社で知り合った日本人の同僚を通じて、ママ友達ができてきました。
韓国の幼稚園も紹介してもらい、体験授業を受けたものの、なおみんは浮かない顔。英語幼稚園の方がいいのかな?と英語のみの幼稚園にも体験させてみたものの、やっぱりダメ。'I don't like them' 「みんな、うるさすぎる」というなおみん。夜にも「みんなうるさい」とうなされたり。ある昼間、せっせと幼稚園探しを電話でしている私をみて、なおみんがボソッとちょっと弱気な声で

"Did you call Ms. Katrina that I'm coming tomorrow??"


この一言は胸に突き刺さりました。今思い出しても涙がでそうになる一言でした。
そうやんな〜。今まで行ってた幼稚園に帰りたいよね。急なことだったもんね。意味も分からず、親について来らざるを得なかったもん。しかも、飛行機に乗って、言葉の分からない国へ。っていうかどこにいるかもわかってないよね??なおみん、ゴメンね。

この時は、本当に悪いことをしてしまったという罪悪感がいっぱいありました。
まさかこのあと、なおみんがぐーんと成長することを知らずに。



日本で


空港でお別れを言って、日本へ。飛行機のことはあまり覚えてません。
日本へ着いたら、次は韓国へ行く準備。まあ、ビザを取るというのが一番のイベントで、一ヶ月ほどで出るという目論見の元、神戸で二週間を過ごし、東京へ立つことに。

神戸での二週間は、4月だというのにほぼ雨。リオナは時差ぼけが解消されるまで時間がかかったし、雨だったし、大変だった。でも、グランパに動物王国に連れて行ってもらい、なおみんは大喜び。王子動物園と水族館と竹中工務店資料館にも行ったか。従兄弟たちと過ごすのが大好きななおみんは、空いてる日はマックスで遊んでもらいました。おきともあちゃんと淡路島のおっきい公園にも行きました。私は、いつもの美容院で髪を切って、USJ時代の友達に一度会い、たまおに会い、健は韓国語の勉強してたな。


そして、4月の中旬に東京へ。東京では割と晴れに恵まれ、半日かけて色んなところに連れて行ってもらいました。プレイカフェや、ポニーライドや図書館や公園で過ごすしたけど、なおみんにはそろそろ非日常にも飽きてきた感じがみられ、出かけてないとYouTube を見ているという日々。グランパのお見舞いにちょっとずつ何度も行けたのは良かったけど、そのうち新鮮味がなくなり、そして、4月の末になってもビザ発給の連絡は来ず、またここでもソワソワした日々が始まりました。


そして、ついに5月の連休までいることに、、、お陰でアメリカで一緒だったこよファミリーと愛子さん・すみちゃんペアと会うことができました。皆で上野動物園に行ったけど、若干照れてたのと、混んでたのと、時間が足らなかったのとで、会えて嬉しかったけど、もっと一緒に居たかった〜という気分で解散となった1日でした。


もう、この悶々どうしたらいいの〜。なおみんも友達なし限界〜っという、連休明けにやっとビザが出たという知らせがあり、5月15日にやっと飛び立つことになりました。



アメリカを発つことに


ネブラスカから戻り健の骨折がまだ治りきらない頃から、健が職探しを始め、最終的には韓国へ渡ることに。同時期に、私たちのアメリカ生活でいつも支えとなっていたこよファミリーも同時期に急に日本へ戻ることになりました。


この1月からアメリカを去る3月まではドキドキ、ソワソワの日々でした。なおみんにどう説明していいか分からず、ひたすら、いつも通りに幼稚園に連れて行って、こよの家に行って。綾さんファミリーには本当に支えになってもらいました。アメリカを去ることが確定したのは3月に入ってから。健は仕事のこと、私は家財の処分に励んでました。


荷物もどこに送るか確定したのは帰国一週間前。もうガレージセールをして、荷物を最低限にしておいたものの、まだどこに荷物を送るか分からない現実に焦った私が日通さんにとりあえず箱を取りに行きました。荷造りをして出荷する2日前に韓国に荷物が送れることになり、その2日後に荷物を空にして、アメリカを発ったのであります。

って、さらりと書いたけど、10年分の荷物の処分は半端じゃなかった。車2台からベッド、電化製品、家庭菜園のもの、子供達のもの。でも、同じ作業を行っている綾さんと愚痴りながら、後、手伝ってくれた友達によりなんとか乗り越えられたって感じでした。Corvallis時代の友達も会いに来てくれ、ドタバタながらも最後のお別れをいうことができてよかったな。

そして、3月30日ギリギリ日本行きの飛行機に乗ったのでありました。

2015年9月21日月曜日

ネブラスカ旅行

12月の半ばすぎから年末まで、私の大学時代の友達、リアナの家に一家で2週間ほどお邪魔してました。飛行機もリアナのマイレージで取ってもらい、至れりつくせり。なおみんは一歳過ぎで一度行ったけど、健もリオナも初めて。おっきいトウモロコシ畑と牛の放牧にびっくりたまげてました。


リアナのところも忙しい秋の収穫を終えて少し落ち着いてた時期で、まあ、皆で見事に2週間ゴロゴロ過ごしました。リアナのとこの3人の子供にいっぱい遊んでもらい、なおみんは大満足。雪ダルマを作ったり、ソリに乗ったり、クッキーを作ったり、クリスマスの朝を皆で迎えてプレゼントを開けたり、それはそれは、楽しい日々でした。


健が、ソリから落ちて骨折をするまでは、、、


救急病院へ行き肩の骨折が確定された翌日、帰ることになっていた私たち。私が運転してコロラドの飛行場へ向かい、一歳過ぎのリオナと4歳のなおみんと、39歳の骨折した健と荷物とを抱えての飛行場は結構大変やった💦

健は帰ってからも痛みで寝れなかったり、本当にかわいそうだったけど、わたしも大変だった〜。でも、なおみんは本当に楽しかったようで、帰った日からずーっと、そして未だに「次、いつリアナの所に行くの?」と聞いてくるのでした。



2015年9月19日土曜日

Halloween Thanksgiving 2014

これも、写真なしでとりあえずアップ。

11月に夏の報告をした私。
ハロウィーンも、サンクスギビングも、クリスマスも正月も過ぎました。
まあ、すぎちゃったけど、記録のためにサクッと載せておきます。

もちろん、恒例のパンプキンパッチに、こよ一家と行ってきました。アレルギーもちの健とりおなはお留守番。大貴のいないパンプキンパッチは寂しかった~。いつもの恒例の動物ふれあい広場、コーンいっぱいのプール、ポニーライド、ヘイ迷路に加え、今年はコーンメーズとパンプキン飛ばしを楽しみました。


で、ハロウィーン当日は、やっぱり「プリンセス」。今年は、衣装も買っちゃいました。
雨がひどく、Trick or treatには行かず、教会でのイベントに参加しました。


ハロウィーンが終わった頃から、幼稚園への道中の歩道におもちゃや花束が置いてあることに気づき、気になって調べてみたところ、なんと酔っ払いがtrick or treat中の歩道を歩いてた子供をひいたという、なんとも可哀想なニュースにたどり着きました。サンクスギビングが明けたら、クリスマスツリーも置いてあり、友達、家族にとっても大切にされてたんだな~と毎日運転しながら悲しい思いに浸ってました。なおみんも、なんでツリーがあるの?って聞いてきたから、事故でこどもが死んじゃったのよ。って言ってみた。そしたら、'They should build a tall big fense, so cars can't hit her anymore'だって。ほんまにそうやね、なおみん。



サンクスギビング。こよ一家と一緒にターキーを食べました。
近所をブラックフライデーでちょこちょこ周り、後半はりあちゃんたちが遊びに来てくれました。
で、土曜日には健がボストンに出発。一週間、健なしの生活でした。


意外に何とかなった一週間が明け、健が帰ってきました。がっちりとインフルエンザと共に。
居なかったら一人で頑張ろうと思えるけど、居るのに育児・家事に参戦してもらえない無念さ・・・。会社に行っては週末休養という日々をがっつり三週間見守る羽目になり、私のストレスもマックスに・・・。私の誕生日も素通り・・・。ああ、そうですか・・・・。ここのクリスマスは日本の年末年始。一人で、クリスマスプレゼントを買って包んで、クリスマスカードを作って送って、旅行の準備もして。


そして、なんとか12月21日発のネブラスカ旅行に間に合ったのでした。






ブログ再び

去年の11月に夏休みのことを更新して以来、もう一つの夏を越してしまい、なおみんの5歳の誕生日も越してしまった・・・。もういっか〜と思う反面、おととい、なおみんの誕生日に皆でなおみんの生まれた日からを振り返ってるとやっぱり、なおみんの成長とそのときの私が感じたこととか、書いといたほうがいいかな。と思って、もう一度、続くかわからないけど、ここに記載しようと思います。

一番続かない理由は写真を載せようとすると、写真の所在が分からず、ずるずると。だから、写真はもう暇が出来たときに整理してアップしたらいいかなと。所詮、このブログは覚書だからね。去年の夏から、いろんなことがありました。もう過去の記憶になってるものも多いけど、せっかくだから少し振り返ろうかな?