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2015年11月24日火曜日

これからの教育のこと


韓国に来てしばらくは、インターナショナルスクールになおみんを通わせるとずっと考えてました。でも、暫く時間が経って色々考えると、それが答えではなさそうな気がしてきました。理由は、遠い、高い、その他諸々。

まず、朝7時に家を出て、夕方4時に帰ってくるスケジュール。6歳になるなおみんに9時間も家を空けられるのは、母として寂しすぎる。そして、朝も夜もなおみんを急かして終わるのが目に見えてる。

日本語の勉強は諦めたほうがいい。そして、宿題なんぞ出ると更にドン・・・。なおみんは韓国に住んでる日本人であり、アメリカ人でもある。英語と日本語の両方で最低限の読み書きができるようになって欲しいが、9時間のインターの後のそれは不可能。

スケジュール的には年の半分は休み。オンの日にそれだけ過酷なスケジュールだと、オフの日のダラダラ感は体験しないでも想像が簡単につく。

そして、高い。ここに来て感覚が狂ってきたけど、年間約120万円。1、2年で終わるどころか、中学、高校と進むにつれて、高くなる。そして、間もなくリオナもスタートする。月々のお金でやっていけない金額ではない。でも、学年が上がるたびに苦しくなっていくのは目に見えている。私としては、本当にやりたいことが出来た時に、どーんとお金を用意してあげたい。子供たちが成長して、やっとこれだと思うやりたいことを見つけた時に、すでにお金を使いきってて「ごめんなー、無理」って言う方が理不尽な教育費の使い方だと思う。


そして、やはり、アメリカでも思ってたように、集団で画一的な教育を受けることに疑問を感じる。日本で大学生を体験させてもらったときに出会ったホームスクーリング。ホームスクールを行ってる家族をインタビューさせてもらったのだけど、結構、しっかりした中学生だった。なおみんは、アートと動物が好き。その切り口から、色々な教育ができるんじゃないかと思う。

私は子供たちに好きなことを見つけて、それに一生懸命取り組んで欲しい。成長と共に好きなことは変わっていく。なおみんはウルトラマンでりおなはアンパンマン。今はそれだけど、いつかは変わる。それでいい。大人が子供の好きなものを強引にすり替えることは、精神的な害にしかならない。好きなことを学びたいという気持ちを持ち続けて欲しい。テストのために無理やり勉強するのは、もう少し精神的に大人になってからでいい。今、学校のカリキュラムを押し付けると学ぶ意欲が消える気がする。


そして、いっぱいフィールドトリップをしたい。アンパンマンミュージアムでもいいし、ウルトラマンショーでもいい。そこに行って色々体験して、感じて。アメリカに行ったり、日本で動物園や水族館に何度も足を運んで、実際に見て、触って、体験してほしい。できれば閑散期に。誰もいない平日に。そういった体験というのは、学校では出来ないと思う。学費に当てようと思ってたお金はこういったものに費やしたほうが、ためになるんじゃないかって思う。正直、インターの学費とフィールドトリップは経済的に無理。でもホームスクールをすることで、健が夢見てたようなNasaとかのキャンプも視野にいれれるかもしれない。リアナのところで農場体験の方がなおみんには合ってるかもしれないけど。


ホームスクーリングについて調べ始めて数日。情報がありすぎて困っている。いろんなカリキュラムが1年に10万円ほどで用意されている。ネット情報の時代に感謝するわ。


ここでホームスクールすることの心配事:
まず、ここにネットワークがない。韓国語も不自由だし、ホームスクーラーとして孤立するのが不安。なおみんも私もどこからホームスクールと向き合う刺激をもらえばいいのか分からない。ただでさえ、学校に行ってないと後ろ指を差される気がするから、それをそんなことない!と言い切れる仲間が近くに欲しい。オンライン上のサポートだけで大丈夫なのかもしれないが。

次にホームスクールがうまくいかなくなった時の受け皿。恐らくインターナショナルスクールに入れてもらえるとは思うが、私学なだけに、絶対という保証がない。



リオナ2歳


韓国に戻ってきてすぐ、リオナが二歳になりました。
あまりにも帰ってきてすぐだし、とりあえず、外食へ行くことは決定。
午前中は久々に健に会えて大喜びで家で遊んでる二人を置いて、念願のイーマートという大き目のマートへ。品揃えも近所のスーパーより良くって、感動して帰ってきました。
リオナにいいんじゃない??と思った三輪車も見ただけでしたが、家へ着くなり更にその三輪車を買ってあげたくなり、昼食後に次はカートを持って再出発した母。


片道1キロ以上の道のりを頑張りましたよ、母は。
結構するのね、三輪車って。アメリカから持ってこれば良かった。
うーん、今は足が届かないね。だから、とりあえずは私が後ろから押すか。
ううう、小回り利かないな・・・。
りおなんはとーってもお気に入りらしく、朝、お姉ちゃんを幼稚園へ送る時、
ストローラーではなく、三輪車を指して「これ、これ」というようになってしまったのでした。

夜は、久しぶりの韓国での外食。間違ったお店にばっかり入って懲りてた私たちでしたが、友達に教えて貰ったしゃぶしゃぶのお店に行くと、割と良かった!リオナはもちろん無銭飲食をたっぷりして帰ってきました。

あともう一つの難関はケーキ。まずいで有名な韓国のケーキですが、健がカフェで見かけたおいしそうなケーキを買ってみることに。でも、キャンドルがない・・・。お誕生日のろうそくを求めて、ひたすら何件もお店を渡り、時間切れ。キャンドルなしのお誕生ケーキでした。ごめんね、りおな。まさかこんなに苦労するとは思ってもなかった・・・。

で、翌日普通にいつもいくパン屋さんでキャンドルを売ってるのを見かけてしまったとさ。

韓国に戻る

日本での幼稚園が夏休みに入り、リオナが二歳になる前に韓国に戻ることに。
英語幼稚園に入れようか、英語の授業を沢山やっている韓国語幼稚園に入れようか散々迷ったけど、韓国で仲良くしてもらっている日本人ママが勧めてくれた韓国語幼稚園に決定。


英語が喋れる先生が一人と、アメリカテキサスからやってきたネイティブスピーカー先生が一人。その二人の先生にどうにかこうにかして手伝ってもらい入園。体験入園のときは日本語で通したらしいが、初日が終わって迎えに行くと、アメリカ人先生に「なんだ、アメリカ人じゃん」と突っ込まれるほど、英語で喋ってたらしい。


なおみんは、幼稚園がとっても気に入ったようで、毎日楽しそうに行く日々。入って一ヶ月後のお泊まり保育にも、「行く」と自ら言いだして、笑顔で行っちゃったよ。そして問題なく帰って来たよ。


私の知ってるなおみんとはえらい変わりよう・・・。一体何が行われてるのかしら??言葉の面では日本の幼稚園の方が良かったんちゃうん??と思うのですが、、、

でも後でウェブにアップされてる写真をみて分かりました。それはそれは行事まみれの日々。馬の格好をして体育とか、歌って踊って英語とか、砂遊びとか、まあなおみんのツボにはまる授業ばっかり。クラスメートもたった7人。仲間外れも出来ないし、先生も沢山いて目も行き届いてる。そりゃあ、ちやほやされて、楽しいだろうね・・・。






2015年9月24日木曜日

なおみん日本で初幼稚園

日本語だからだろうか、割となおみんは幼稚園に行くことに前向きになって初登園日を迎えた。幼稚園の体操服とカバンを借りて、元気良く「ばいばい」と言って別れた。

はあー、やっと一人リリース。と言ってももう一人家に居るし、3時までってことは、2時40分には家を出てないとダメだし、朝、お弁当作って送っていって、迎えに行くってなると、意外にゆっくりする時間は無かった。更に、歩き慣れてない私たち。一応グーグルでは片道1キロ弱っぽかったが、最初は慣れるのに、後半は暑さとの戦いで、この二度の往復で結構疲れてしまって、なおみんが通った約一ヶ月ちょっとの間、ほぼ、学校との往復以外何もせずに終わってしまった。


学校に行き始めて2、3日経ってから、幼稚園に行くのをぐずり始めたなおみん。朝、とんでもなく行くことに抵抗し、お迎えの時には笑顔というのを結局一ヶ月続けた。
ママ友も出来たし、週に一回は遊んでもらって、いろいろ日本の子育て事情とか聞けて楽しかった。なおみんもそうやって小規模で遊ぶのは大好きだったけど、幼稚園はやっぱり嫌がってた。今思えば、生徒が多くて、集団行動がストレスだったのかな?歌がわからないとか、ピアニカができないとか、色々理由を付けては、愚図ってた。
その割には完璧な関西弁を身につけて帰ってきてたけどね。


そして、やーっと慣れ始めて、お迎えのときには手を振る友達まで出来てきたところで、さようなら、、、終業式となったのでした。その後も、預かり保育で3回ほど幼稚園に行き、なおみんの日本の初幼稚園は終了しました。


偶然、幼稚園で出会った大学時代の先輩いわく、そこの幼稚園は「昭和」的な幼稚園で、先生の話を聞くときは手を後ろに組むなど、軍隊的な要素があったそうな。その割にはなおみんからはそんな話は聞いてないけど、まあ、もし本当なら、そりゃあ苦労しただろうな(笑)。でも、私は受け入れてもらってとても感謝しています。ここで出会った子の半分くらいは同じ小学校に進むだろうし、また来年も通わせたいな。


なおみんとの幼稚園の往復は大変だったけど、楽しかった。
韓国に着いてすぐは、"I want a car" と愚図ってたけど、大分歩けるようになったね。



2015年9月22日火曜日

日本での生活スタート

アメリカからの苦労を考えると、仁川→関空は近かった。大人一人で連れて帰ることにすごいドキドキしてたけど、空港で母が待っててくれたのもあり、すんなりたどり着いた気がする。でも、どれだけ飛行機で一時間半と言われても、家を出てから実家までは一日仕事だった。


神戸はまたもや雨。韓国で出会った日本人ママが皆、一応2週間はMERSの潜伏期間だから家にいると言っていたので、私たちも一応そうすることに。韓国ですでに缶詰状態を一週間やってたから、あと二週間も。と思うだけでクラクラ・・・。庭で遊んだり、粘土で遊んだり、もちろんYouTube をして10日が経ちました。毎日韓国のMERS情報を見てると、隔離対象者は増えているものの、すべて病院に訪れた人とその家族の感染が明確になってきた。ってことは、



自己隔離、あほくさっ


ということになり、その翌日、幼稚園を訪れることにしました。まあ、もう自己隔離をし始めて、ゆうに2週間以上が経っており、空港でもらってない限り感染はあり得ず、空港内感染の情報も無かったので、確信を持っての自己解除でしたが。幼稚園には挨拶にいっただけで、結局、翌週の月曜日からスタートすることになり、その時点では、帰国後2週間がやっと経ってました。






まさかのまた日本


5月15日に韓国に着いてから3週間で、数々のママ仲間に出会い、色々助けてもらったり、色んなイベントに誘ってもらったり、一瞬でなんとかここでやっていけそうな気持ちになった直後、韓国にMERSがやってきました。


幼稚園選びに苦しみ、やっと決意を決め韓国の幼稚園に入れようと思った翌日、幼稚園は閉鎖され、日本人コミュニティーを通じて、かなり緊迫した状況になってきていることを知りました。まず、健が受診しようとしてた大学病院で死者が出たという騒ぎになり、病院や診療所が個々に⚪️⚪️病院で受診した経歴のある人たちは受診お断りという案内を始めることに。政府が混乱を避ける為に、死者が出た病院を発表しないとしたらしいが、裏目に出たよね。いかなる状態でも情報は公にする方が秩序は保たれるんだなと切に感じました。


まあ、幼稚園が休園で、病院にも行けないとなると、母子また引きこもりの日々に。元々、日本人母子はインターナショナルスクールがお休みになると同時に帰国する予定の人が多々いた為、2ヶ月ほど誰も居なくなるのは覚悟してたけど、この状態での覚悟はしてなかった。ので、次は外国人登録証の発給を待ってすぐまた帰国することを決定したのでした。


MERS騒ぎが始まってから一週間、ずっと家に居て、必要に応じて一人で私が買い物に行くという生活に変わってしまった。なおみんは、幼稚園に行かないでいいなら、それが一番とばかりにまたもやYouTube。でも、私は日本で幼稚園に行って欲しいと思い、体験入学を受け入れてくれないか、電話をかけまくりました。最初の4、5件は断られ、ついに受け入れてくれる先をゲットしました。


ママ友に仁川空港への行き方を学び、バス停までの道順を子供たちを連れて歩いてみたりして、ドキドキしながらの母子帰国でした。


結局当日の朝、健がホテルの前のバス停まで送ってくれることになり、皆で家を出てバスへ。バスに健が乗らないと知ったなおみんは、大泣き。両親が待ってくれてるとは知ってても、健なしでの生活は私にも心配だったから、またさらにここでも罪悪感が芽生えてきました。あー、なんてついてないんやろう、、、


なおみんの気持ち


韓国へ来て1週間が過ぎ、もうなおみんが幼稚園に行かず、家にいるようになり一ヶ月以上が経って、一日中You Tube をすることが日常となってました。一日中ゴロゴロしてて、イライラしているなおみん、そろそろ家にいるのは限界でした。


なおみんはインターナショナルスクールに通うものという前提でここにきたのですが、ここに着いてから学費のサポートがキンダーからしかでないということを知りました。9月18日生まれのなおみん、どうにか、今年キンダーに入れてくれないかと打診したけど、無理と言われ、インターナショナルスクールは断念。

だけど、健が会社で知り合った日本人の同僚を通じて、ママ友達ができてきました。
韓国の幼稚園も紹介してもらい、体験授業を受けたものの、なおみんは浮かない顔。英語幼稚園の方がいいのかな?と英語のみの幼稚園にも体験させてみたものの、やっぱりダメ。'I don't like them' 「みんな、うるさすぎる」というなおみん。夜にも「みんなうるさい」とうなされたり。ある昼間、せっせと幼稚園探しを電話でしている私をみて、なおみんがボソッとちょっと弱気な声で

"Did you call Ms. Katrina that I'm coming tomorrow??"


この一言は胸に突き刺さりました。今思い出しても涙がでそうになる一言でした。
そうやんな〜。今まで行ってた幼稚園に帰りたいよね。急なことだったもんね。意味も分からず、親について来らざるを得なかったもん。しかも、飛行機に乗って、言葉の分からない国へ。っていうかどこにいるかもわかってないよね??なおみん、ゴメンね。

この時は、本当に悪いことをしてしまったという罪悪感がいっぱいありました。
まさかこのあと、なおみんがぐーんと成長することを知らずに。



日本で


空港でお別れを言って、日本へ。飛行機のことはあまり覚えてません。
日本へ着いたら、次は韓国へ行く準備。まあ、ビザを取るというのが一番のイベントで、一ヶ月ほどで出るという目論見の元、神戸で二週間を過ごし、東京へ立つことに。

神戸での二週間は、4月だというのにほぼ雨。リオナは時差ぼけが解消されるまで時間がかかったし、雨だったし、大変だった。でも、グランパに動物王国に連れて行ってもらい、なおみんは大喜び。王子動物園と水族館と竹中工務店資料館にも行ったか。従兄弟たちと過ごすのが大好きななおみんは、空いてる日はマックスで遊んでもらいました。おきともあちゃんと淡路島のおっきい公園にも行きました。私は、いつもの美容院で髪を切って、USJ時代の友達に一度会い、たまおに会い、健は韓国語の勉強してたな。


そして、4月の中旬に東京へ。東京では割と晴れに恵まれ、半日かけて色んなところに連れて行ってもらいました。プレイカフェや、ポニーライドや図書館や公園で過ごすしたけど、なおみんにはそろそろ非日常にも飽きてきた感じがみられ、出かけてないとYouTube を見ているという日々。グランパのお見舞いにちょっとずつ何度も行けたのは良かったけど、そのうち新鮮味がなくなり、そして、4月の末になってもビザ発給の連絡は来ず、またここでもソワソワした日々が始まりました。


そして、ついに5月の連休までいることに、、、お陰でアメリカで一緒だったこよファミリーと愛子さん・すみちゃんペアと会うことができました。皆で上野動物園に行ったけど、若干照れてたのと、混んでたのと、時間が足らなかったのとで、会えて嬉しかったけど、もっと一緒に居たかった〜という気分で解散となった1日でした。


もう、この悶々どうしたらいいの〜。なおみんも友達なし限界〜っという、連休明けにやっとビザが出たという知らせがあり、5月15日にやっと飛び立つことになりました。



アメリカを発つことに


ネブラスカから戻り健の骨折がまだ治りきらない頃から、健が職探しを始め、最終的には韓国へ渡ることに。同時期に、私たちのアメリカ生活でいつも支えとなっていたこよファミリーも同時期に急に日本へ戻ることになりました。


この1月からアメリカを去る3月まではドキドキ、ソワソワの日々でした。なおみんにどう説明していいか分からず、ひたすら、いつも通りに幼稚園に連れて行って、こよの家に行って。綾さんファミリーには本当に支えになってもらいました。アメリカを去ることが確定したのは3月に入ってから。健は仕事のこと、私は家財の処分に励んでました。


荷物もどこに送るか確定したのは帰国一週間前。もうガレージセールをして、荷物を最低限にしておいたものの、まだどこに荷物を送るか分からない現実に焦った私が日通さんにとりあえず箱を取りに行きました。荷造りをして出荷する2日前に韓国に荷物が送れることになり、その2日後に荷物を空にして、アメリカを発ったのであります。

って、さらりと書いたけど、10年分の荷物の処分は半端じゃなかった。車2台からベッド、電化製品、家庭菜園のもの、子供達のもの。でも、同じ作業を行っている綾さんと愚痴りながら、後、手伝ってくれた友達によりなんとか乗り越えられたって感じでした。Corvallis時代の友達も会いに来てくれ、ドタバタながらも最後のお別れをいうことができてよかったな。

そして、3月30日ギリギリ日本行きの飛行機に乗ったのでありました。

2015年9月21日月曜日

ネブラスカ旅行

12月の半ばすぎから年末まで、私の大学時代の友達、リアナの家に一家で2週間ほどお邪魔してました。飛行機もリアナのマイレージで取ってもらい、至れりつくせり。なおみんは一歳過ぎで一度行ったけど、健もリオナも初めて。おっきいトウモロコシ畑と牛の放牧にびっくりたまげてました。


リアナのところも忙しい秋の収穫を終えて少し落ち着いてた時期で、まあ、皆で見事に2週間ゴロゴロ過ごしました。リアナのとこの3人の子供にいっぱい遊んでもらい、なおみんは大満足。雪ダルマを作ったり、ソリに乗ったり、クッキーを作ったり、クリスマスの朝を皆で迎えてプレゼントを開けたり、それはそれは、楽しい日々でした。


健が、ソリから落ちて骨折をするまでは、、、


救急病院へ行き肩の骨折が確定された翌日、帰ることになっていた私たち。私が運転してコロラドの飛行場へ向かい、一歳過ぎのリオナと4歳のなおみんと、39歳の骨折した健と荷物とを抱えての飛行場は結構大変やった💦

健は帰ってからも痛みで寝れなかったり、本当にかわいそうだったけど、わたしも大変だった〜。でも、なおみんは本当に楽しかったようで、帰った日からずーっと、そして未だに「次、いつリアナの所に行くの?」と聞いてくるのでした。



2015年9月19日土曜日

Halloween Thanksgiving 2014

これも、写真なしでとりあえずアップ。

11月に夏の報告をした私。
ハロウィーンも、サンクスギビングも、クリスマスも正月も過ぎました。
まあ、すぎちゃったけど、記録のためにサクッと載せておきます。

もちろん、恒例のパンプキンパッチに、こよ一家と行ってきました。アレルギーもちの健とりおなはお留守番。大貴のいないパンプキンパッチは寂しかった~。いつもの恒例の動物ふれあい広場、コーンいっぱいのプール、ポニーライド、ヘイ迷路に加え、今年はコーンメーズとパンプキン飛ばしを楽しみました。


で、ハロウィーン当日は、やっぱり「プリンセス」。今年は、衣装も買っちゃいました。
雨がひどく、Trick or treatには行かず、教会でのイベントに参加しました。


ハロウィーンが終わった頃から、幼稚園への道中の歩道におもちゃや花束が置いてあることに気づき、気になって調べてみたところ、なんと酔っ払いがtrick or treat中の歩道を歩いてた子供をひいたという、なんとも可哀想なニュースにたどり着きました。サンクスギビングが明けたら、クリスマスツリーも置いてあり、友達、家族にとっても大切にされてたんだな~と毎日運転しながら悲しい思いに浸ってました。なおみんも、なんでツリーがあるの?って聞いてきたから、事故でこどもが死んじゃったのよ。って言ってみた。そしたら、'They should build a tall big fense, so cars can't hit her anymore'だって。ほんまにそうやね、なおみん。



サンクスギビング。こよ一家と一緒にターキーを食べました。
近所をブラックフライデーでちょこちょこ周り、後半はりあちゃんたちが遊びに来てくれました。
で、土曜日には健がボストンに出発。一週間、健なしの生活でした。


意外に何とかなった一週間が明け、健が帰ってきました。がっちりとインフルエンザと共に。
居なかったら一人で頑張ろうと思えるけど、居るのに育児・家事に参戦してもらえない無念さ・・・。会社に行っては週末休養という日々をがっつり三週間見守る羽目になり、私のストレスもマックスに・・・。私の誕生日も素通り・・・。ああ、そうですか・・・・。ここのクリスマスは日本の年末年始。一人で、クリスマスプレゼントを買って包んで、クリスマスカードを作って送って、旅行の準備もして。


そして、なんとか12月21日発のネブラスカ旅行に間に合ったのでした。






ブログ再び

去年の11月に夏休みのことを更新して以来、もう一つの夏を越してしまい、なおみんの5歳の誕生日も越してしまった・・・。もういっか〜と思う反面、おととい、なおみんの誕生日に皆でなおみんの生まれた日からを振り返ってるとやっぱり、なおみんの成長とそのときの私が感じたこととか、書いといたほうがいいかな。と思って、もう一度、続くかわからないけど、ここに記載しようと思います。

一番続かない理由は写真を載せようとすると、写真の所在が分からず、ずるずると。だから、写真はもう暇が出来たときに整理してアップしたらいいかなと。所詮、このブログは覚書だからね。去年の夏から、いろんなことがありました。もう過去の記憶になってるものも多いけど、せっかくだから少し振り返ろうかな?


2015年5月8日金曜日

韓国へ移住

さて、かな〜りご無沙汰となりました、健です(っつか、家族でかなりご無沙汰ですが)。

そのご無沙汰の間、我々一家にはかなーりの一大事が起きまして、まぁ皆様ご存知かと思いますが、結論から言うとアメリカから韓国へ仕事の関係で移住となりました。
いわゆる、転職ですね(国も変わってるんで転国?)。
日本の巷で倒産寸前と有名な某Sの北米研究所から、お隣の韓国で日本のエンジニアを食いあさっているという某Sへ。
まぁ、転んだ元が元なら転んだ先も先で、どうやら国も会社も変われど名前のイニシャルとよくない意味での評判だけは変わりません。

さて、その移住先ですが、韓国はソウルの南、ファソン(華城)という街のドンタン(東灘)という地域になります。

一体、そりゃどこだ?と思われた方、それ、まさに2ヶ月前の私です。

ええ、韓国の予備知識、地理も言語も含めて一括0です。
ブルゴギ知ってるってだけで、胸張れるレベルです。

しかもこの空っぽさ加減、私だけじゃなくて一家総員仲良く右へならえ!です。汗

で、場所なんですが、Google Mapsで見た感じ、こんな場所のようです。


これ以上詳しく住む場所は書けませんけど、まぁ、概ね地理としてはこんな感じのところに位置するようです。

首都ソウルからは多少離れますが(電車で40分程度とかいう話です)、すぐ近くに大きなスーパーやらショッピングモールやら何やら色々あって、便利そうですけどね。

韓国語が分かれば。

奴ら本気でハングル一筋ですからね。道路標識まで。
ホンマ、情け容赦ないです。

冗談抜きで現時点では、店の真正面で突っ立ってみても、そこで何が売られているかすら皆目見当つきません。

ストビュー(韓国版のGoogle Mapsもどき)で見た感じ、こんなんですから。

この写真でお店が一つでもなんだかわかった方がおられましたら、もれなく韓国までご招待致します。

って、マジなところ、本当に生きていけるんだろうか。
あぁ、だんだん本気で不安になってきた。笑(汗)

都会の真ん中で家もあって金もあんのに餓死なんて、洒落んならんわー
韓国語、がんばろ。

というわけで、我ら一家の無事を祈っといてください(半分本気で)。

では。