もーっっ......っスゴい久しぶりの更新となりました、ケンです。
あまりにも久しぶりなんで、近況というか、ここ1年くらい分の報告せにゃいかんのではとか考えたりしてしまいますが、とりあえずここ半年くらいの事だけまとめておきます。
なにはともあれ、エラいクソ忙しい半年でした。
まずは知っている人はご存知の通り、1月末のポルトガルの学会。
お陰さまで、最優秀プレゼンテーション(The best oral presentation)って賞を賜りました。
まぁ、半分以上は使ったプレゼンのソフトのお陰って噂もありますが...
賞金も出たんですが、これがちょっとケチ臭い僅か100ユーロ。
まぁ、昨今の当該国の経済状況を鑑みれば、これでもかなり奮発してくれたんでは、とか感じたりもしますけど。
ただ、パスポートのコピーやら請求書の正式な発行やらを要求してきやがったんで、受け取らずじまい。
まぁ、履歴書に1行書き足せる内容が増えたってだけで、十分価値があると思っています。
それから就職活動。
去年の4月にサンディエゴの会社からお誘いをもらったのから数えて脈のありそうだった会社は最終的に6社ほどでした。
そのうち3社(1つは学校)は私の修士論文を読んで気に入ったとかで向こうから話を持って来てくれて、2社は学校のキャリア・フェアで履歴書を提出した所、最後の1社は教授のコネで、圧倒的多数に応募したインターネットなどの他の方法ではまったく音沙汰がありませんでした。
どこかのサイトでも書いてありましたが、どうやらアメリカでは日本以上にコネが重要なようで、インターネットでの募集というのは、あくまで法律上で保証された平等な雇用機会と言うのを見た目上満たす為だけのダミーのようなもののようです。
しかしこの就職活動、当初の目論見とは大きくかけ離れて、かなーり翻弄されました。
っつーか、翻弄してくれました。特に一番熱心だった、とある会社。
この会社、私の研究内容とほぼ合致する事業と深く関わっていて、元々うちの教授ともう一つのかなり大きな大学と一緒にプロジェクトを立ち上げている所で、最初からかなりそういう脈みたいのは強くありました。
で、案の定、2月の頭くらいに突然マネージャー(課長?クラス)の一人が電話して来て、『うちで働かないか?』とか言ってきてくれた訳です。
3月頭くらいにはるばる東海岸のど田舎(マジで絵に描いたようなど田舎です)にある研究所まで、面接を受けに行ってきました。
現地ではこのマネージャー、本当に熱心に誘ってくれて、いかにこの研究所が素晴らしいか、家族にとってもいかに悪くないか等々、2日に及んだプレゼン&面接(朝食から夕食まで含めて全て面接&現地のツアー付き)の合間合間にトクトクと語ってくれたんですが、いざコバリスに戻ってみると、待てど暮らせど正式なオファーが全く来ません。
2ヶ月経ってからいくら何でも遅すぎやしないかと、メールでどうなっているか尋ねてみると、今度電話すると言うお返事。
そもそも向こうから誘って来てるし、Noと言うだけならメールでもいいはずだから、それは無いべとか思っていると、電話で『ゴメン、プロジェクト自体が消えて募集自体がなくなった』という、イラんひとひねりが効いたかな〜りショッキングなお返事をいただきました。
この人の話だと、面接結果は非常に良かったけど予算的な都合が付かなくなったとか、そんな感じ。
このマネージャー、もう少し早くにダメになったならダメになったと連絡をくれていれば他にも選択肢があったんですが...(って、教授にも言われました。)
てっきりここに就職するもんだとばかり思っていたんで、この2ヶ月、就職活動らしい活動はまともにしておらず(現地面接のお誘いをいただいた所には行きましたけど)、結果、翌月に卒業を控えて見事に就職浪人一歩手前の状態となった訳です(まぁ、とある大学でのポスドクのポジション(後でどうやら消えていたっぽい事が分かりましたが)と、とある軍事関連の製品を扱っているっぽい企業で私を雇う為の法律上の抜け穴探りをしてくれてはいましたが)。
さすがにこの状況だと卒業を少し送らせた方がいいのでは、とか卒論や研究にも支障が出てきますんで、とりあえず教授の所に相談に行ってみました。
話をした当初は教授も面食らっていましたが、すぐに研究室のOBやら知り合いの研究者やらに連絡を取ってくれ、数日後の週明けには早くもそのうちの一つ、ポートランド近郊にある日系企業の研究所から連絡がきました。
ここからがまたエラいドタバタスケジュールなんですが、この2日後にはプレゼン&面接、そしてなんと翌週には正式なオファーをいただきました。
で、このオファーがもう一つの企業が出す予定と言っている条件よりかなり良く(特に休日の日数)、マキとも話し合った結果、この研究所で働く事にしました。
そしてちょっとモチベーションの下がり気味だった卒論を気を取り直して何とかまとめ、合間にシアトルへのダルビッシュ・ツアーまで入れて、予定通りに論文は完成。
その2週間後には最終口頭試験だったんですが、何せ次の仕事が翌月なのにオファーをもらったのがつい先日で、まだ住む場所が決まっていません。
で、プレゼンの資料を作りがてら、インターネットで現地の物件を調べ、最終口頭試験を数日後に控えた前の週に2泊3日の泊まりがけで現地の物件を観に行きました。
この物件探しで、いかにいい物件を手に入れるのが大変かというのを、思い知らされました。
クレイグス・リスト(craigslist.org)という色んな個人売買やら取引などを掲載している巨大掲示板があるんですが、ここに掲載されるお買い得物件、何と掲載翌日とかにはどっかの人が手を出しているっぽいんです。
私がナオミの面倒を観ている間、マキが方々に電話をかけまくってくれたんですが、どこもかしこも『ゴメン』や『あんたはOO人目ね』とかの嵐。
良さげな物件同士を比較している余裕なんて、ホントにこれっぽっちもありません。
そんな中、とある一戸建てをリストに出していたおじさんが、うちらの引っ越し時期とペットがいないという点でどうやら気に入ってくれたらしくて、最初に見に行ってからも2日間うちらの事を待っていてくれました(多分)。
家自体はちょっと狭いのですが、値段の割に結構立地が良くて(会社まで車で10分、空港まで20分弱。ショッピングセンターも車で数分に加えて、歩いて数分の所に公園もある)庭も比較的広く、他にいい物件も見当たらない事もあってここにする事に決めました。
そして最後は博士課程の最終口頭試験。
この最終口頭試験は最初の1時間はセミナー形式で、学部中の人に案内が出され、誰でも見に来れます。ナオミを寝かせつける事に成功したマキも、聴きに来てくれました。
これは非常に嬉しかったんですが、やっぱりマキの方を見ると、何故かちょっとしどろもどろになり気味でした。
格好つけようとか、やっぱり深層心理が働いちゃうのかなぁ:苦笑
この試験は45分ほど卒論の内容をプレゼンをし、15分ほどの質疑応答を聴衆と行った後、5人の教授から1時間ちょっと技術的な質疑を受けます。
プレゼンとこの1時間の質疑応答を含めて教授陣の半数以上が納得してくれれば、晴れて博士号取得となる訳です。
私も3年ほど前までは英語のプレゼンをあまりやった事が無かったので、本当に1ヶ月前にはスライドを作って数週間に渡って何十時間も練習をしないと緊張して仕方なかったのですが、この3年間、プレゼン“だけ”は数をこなして来たというのもあって、今回は結構リラックスしてできました。
質疑応答も元々オタッキーな話が好きな御託屋なので、ヒドく踏み外す事も無く、口頭試験はそのままパス。
関連の書類提出を残すだけで卒業となりました。
いやぁ、それにしても忙しい半年だった。
これからまた引っ越しで色々手続きとか面倒な事が多少ありますけど、仕事が始まるまでは基本的に家族で少しゆっくりしようと思います。
後述になりますが、アメリカの就職面接は本当に長かった。
最低でも丸1日、長い所になると1日半4食面接付きで、必ず30分から1時間位のプレゼンをやらされました(まぁ、それがその後の面接のときのネタになるんですけど)。
当然その前には電話面接が1時間ちょっとぐらいは最低ありますし(長い所だと2時間弱くらい)。
それに比べて昔受けてた日本の入社試験って、本当は楽だったんだなぁとか感じました。
それと、今後の仕事は面接で話をした所、今まで私が研究して来た内容とほぼ同じで、それを少し拡張&ひねりを加えた感じです。
会社は日系ではありますけど、日本人の社員はおらず(1人いるらしいですけど会う事が無かった)、実質アメリカ企業です。
場所も今までより大分色々サービスを受けやすい都会なので、あれこれ擦った揉んだはありましたが、結果的にはいいように転んでくれたかな、と思っています。
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