ネブラスカから戻り健の骨折がまだ治りきらない頃から、健が職探しを始め、最終的には韓国へ渡ることに。同時期に、私たちのアメリカ生活でいつも支えとなっていたこよファミリーも同時期に急に日本へ戻ることになりました。
この1月からアメリカを去る3月まではドキドキ、ソワソワの日々でした。なおみんにどう説明していいか分からず、ひたすら、いつも通りに幼稚園に連れて行って、こよの家に行って。綾さんファミリーには本当に支えになってもらいました。アメリカを去ることが確定したのは3月に入ってから。健は仕事のこと、私は家財の処分に励んでました。
荷物もどこに送るか確定したのは帰国一週間前。もうガレージセールをして、荷物を最低限にしておいたものの、まだどこに荷物を送るか分からない現実に焦った私が日通さんにとりあえず箱を取りに行きました。荷造りをして出荷する2日前に韓国に荷物が送れることになり、その2日後に荷物を空にして、アメリカを発ったのであります。
って、さらりと書いたけど、10年分の荷物の処分は半端じゃなかった。車2台からベッド、電化製品、家庭菜園のもの、子供達のもの。でも、同じ作業を行っている綾さんと愚痴りながら、後、手伝ってくれた友達によりなんとか乗り越えられたって感じでした。Corvallis時代の友達も会いに来てくれ、ドタバタながらも最後のお別れをいうことができてよかったな。
そして、3月30日ギリギリ日本行きの飛行機に乗ったのでありました。
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